津谷祐司 公式サイト

恵比寿なう


“ジェイソン ボーン”に想うこと

2019/02/12

 
 
壁にぶち当たった日はアクション映画を観る。家族が寝静まった後、リビングを暗くしてTVのAmazonプライムを開く。最近観たのは、ジェイソン・ボーン(JB)シリーズ。マット・デイモン主演の4部作で、一晩1時間づつ10日で観終わった。
 
アマゾンになってから同じ映画を何度も観るようになったが、JBを通してみるのは今年3回目だ。なぜ、繰り返し観たくなるのか?考えてみた。
 
一つは、逃げずに、たった一人でも戦っているから。
映画はJBが地中海洋上に気を失って漂っているのを、漁船に助けられるところから始まる。命は助かったが、JBは過去が思い出せない。なぜこんな目にあっているのか、自分の名前さえ。が、訪ねたスイスの銀行やアパートで殺し屋が次々と襲ってくる。なぜだか身についている格闘技や銃扱いのスキルを駆使し切り抜ける。
 
自分を「誰が」「なぜ狙うのか」分からないまま戦いを続ける。記憶がないので、頼れる家族も友人もいない。だれも信用できない。そういう厳しい状況だ。自分がミスったら、死んでしまう。体に埋められていたメモや倒した敵が漏らした言葉をヒントに、黒幕を推測し、勝つ方法を考え抜くしかない。
 
アメリカ人のJBと僕の間には何の共通点もないが、JBが逃げずに頑張っているのを見ると、自分も似たような状況だなと思う。自分が抱える問題は、しっかり向き合って自分が解決しなければならない。逃げれば死ぬ。その心境に心をつかまれる。
 
もう一つの惹かれる理由。唯一の理解者とひっそり生きることを心底望んでいること。
 
話が進み徐々に分かってくるのは、自分は元CIAの工作員で、ある極秘プログラムに志願し、記憶を消され、殺人技の数々を仕込まれた人間兵器であること。元上司やCIA長官が黒幕で、自分を裏切り者と誤解し、口封じのため殺そうとしている。つまり、内輪もめ、仲間割れで命を狙われているということだ。
 
007やミッション・インポッシブルなどの最近のスパイ映画は、ほとんどが「仲間の裏切り」をテーマに描かれている。組織が、捕まった現場工作員へ救助を送らない。逆に、恨んだ工作員が、仲間の潜入工作員たちのリストを敵に高値で売る。
 
現実社会でも、内部告発されたり、部門がライバル企業に売却されたりは普通のことになった。今日の味方も敵になるし、どの組織も存続自体が簡単ではない。冷戦締結後、国も企業も対立軸が複雑になって、信用できるものは少なくなった。
 
映画の中でJBが最終的に望むのは、ひっそりとした暮らしだ。信頼できるのは、行きずりで出会った無垢な女マリーだけ。彼女がギリシャ・ミコノス島で始めた海の見えるカフェを手伝って生きていけばいい。5か国語も話せるが、そういう能力は封印して。
 
僕にはそんなこと退屈にしか思えないが、命をかけた長い戦いに疲れ、戦いが終わった後はそういう気持ちになるかもしれない。むしろ、今すぐのんびりやりたいとも思う。
 
20代のころ、僕にとって良い映画とは、体の疲れやイライラをリフレッシュしてくれる「スカッと映画」だった。何かを成し遂げたいとずっと張りつめて生きていたので、映画の主人公を見て考えるとか、共感するなど全くなかった。現実の他人にも関心が全く向かわなかった。でも、経験を積んだ今は、ファンタジーの主人公にシンパシーを感じるようになった。
 
物語の主人公は、作り手たちの願望や価値観が詰め込まれた象徴なのである。
 
(終わりY)

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