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サンフランシスコなう


メキシコ マヤ文明のピラミッド

2014/10/22

141022まや

 

今年の夏、メキシコのカンクーンに滞在したときのこと。ククルカン・ピラミッドで有名なマヤ文明のチチェン・イッツア遺跡へ足を伸ばした。メキシコ大学でマヤ文明を専攻したという日本人ガイドに案内してもらい、マヤ文明の話を聞いた。

 

古代の中米地域では、マヤ、インカ、アステカなどの高度文明が繁栄した。なかでもマヤ文明は長く、紀元前に始まり、二千年近く、日本の戦国時代くらいまで続いたというから、比較的最近の話だ。

 

文明が発達したのは、トウモロコシ栽培など農耕が始まり、生活が安定したためだそうだ。精緻な暦が有名だが、ガイドが力説していたのは、マヤの人々が特殊な才能を持っていたわけではないということ。神官など貴族階級が誕生し、彼らは農耕従事の必要がないため、収穫を左右する雨期を正確に知ることに精をだし、そこから天文観測や暦作りが派生した。数百年かけて磨かれたため、一年を365.2420日とする精緻なものになった、ということだった。ヒマが文明進化につながったということだ。

 

ちょっと前、日本でも『2012年の地球滅亡説』が流行ったが、その話の元はマヤ暦だ。マヤ暦が、2012年12月23日(冬至)までで区切られていたからだが、マヤ人たちは、そこからまた歴史の繰り返しが始まると思っていたらしい。

 

マヤ文明の滅亡は、16世紀のスペイン人の侵略が原因と一般には思われているが、実際はそうではない。その前に、文明はほぼ消滅していたという。

 

衰退の原因は謎だが、ガイドが言うには、閉ざされた地域で生活していたため、人々の思考が多様性を失ったためと考えられているそうだ。人々は行き詰まり、外敵侵入や天候変動など、環境変化に対応できなくなった。暦が精緻になるということは、同時に、それだけ文明が固定化された証しとも捉えられている。

 

産業分野や企業のライフサイクルを思わせる話であった。(Y)

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