津谷祐司 公式サイト

クリエイティブ起業のすすめ


シリコンバレーで学ぶ③ ボルテージUSA、悪戦苦闘の4年

2016/05/20


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株式会社ボルテージ
代表取締役会長 ファウンダー
津谷祐司
 
 
 
 
 

 本シリーズでは、停滞する日本が「新ビジネスを次々生み出すシリコンバレー」から学ぶべきものは何か、を考えている。これまで、「キャリア自力開拓の精神」と「トップダウン型のリーダーシップ」を取り上げた。
 今回は、「ボルテージUSA、悪戦苦闘の4年」をとおして学んだ、シリコンバレー流の組織づくり、商品づくりを紹介する。
 

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◆赴任した日本人リーダーと未経験の20代アメリカ人で出発

 2012年から始まった「Voltage Entertainment USA」(SFスタジオ)の1年目は、さまざまな問題が頻発し、成果を出すどころか、組織すらうまく回らなかった。その原因となったのは、ボルテージ日本本社とのギクシャクした関係性、もう一つは我々日本人リーダーと現地採用組の対立だ。今思えば、僕の米国流マネジメントの理解不足と、キャリアのある現地人材を集められなかったことが原因だった。
 

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 日本から赴任したのは、経営陣として津谷と東、中堅の現場リーダー2人の計4人。最初に現地で採用したのは、日本アニメが好きという若い女性たち数名のみである。みなエントリー(基礎的職種)としての採用で、前職は店頭販売員など、デスクワークは初めてという人もいた。当時、米国のアプリ市場は始まったばかりで、シリコンバレーでもアプリ制作の経験者は少なかった。そもそも、米国で何の実績もない小さな日系企業にピカピカの経験者が応募して来るわけがない。ゆえに、日本人リーダーが、素人の彼女たちにHTMLの基礎を教えるところから始めざるを得なかった。
 

 アプリのエンジン・システムは日本本社で活用していたものを流用し、米国ではストーリーとイラストのみを作成することにした。ライターは簡単に見つかったが、イラストレーターは数が少なく、探すのに一苦労だった。改めて、マンガ産業にかかわる日本の人材層のブ厚さを痛感した。
 

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